酸っぱいブドウが家庭を壊す、人間の心理と対処法
『酸っぱいブドウ』とうい言葉を聞いた事がありますか?
これはイソップ童話の、人間の心理をよく表したお話です。
『手の届かないものは大した物ではない』という格言のようなものなのですが。
この酸っぱいブドウ、度がすぎると自分や周りの人を不幸にしてしまう可能性があります。
大切なものを壊してしまいかねないほど、このブドウの酸は強力なのです。
父は完全にこのタイプですし、私もまたこの危険な性質を持っていると自覚しています。
今回は、そんな『酸っぱいブドウ』の解説と危険性、対処法を記していきたいと思います。
1.酸っぱいブドウを解説
1-1.イソップ童話のおはなし
1-2.身近なもので考えてみよう
1-3.酸っぱいブドウは心を落ちつかせるおまじない
2.酸っぱいブドウの危険性
2-1.おまじないが自己洗脳に進化する
2-2.物事の否定は、他者への否定と紙一重
2-3.卑屈な発想につながる危険性
2-4.卑屈な発想は感染し、家族を蝕んでいく
3.対処法は、キラキラした自分でいようとすること
3-1.ブドウを諦めない心
3-2.それでも世界は輝いている
3-3.欲しいものと大切なもの
3-4.キラキラした自分を心がけよう
4.まとめ
目次
1.酸っぱいブドウを解説
1-1.イソップ童話のおはなし
<wikipediaより転載>
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。
何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから
「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」
と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
1-2.身近なもので考えてみよう
身近なもので考えると、どのような物があるのでしょうか。
欲しいけど手が届かない物。
一般的な物かはわかりませんが、私個人の考えを書いていきます。
まずは車、現在は私は貯蓄のため車なしで生活しています。
中でも、高級車が手の届かないブドウにあたるのではないでしょうか。
車(高級車)を持たなくて良いと思える理由は以下の通り
- 駅前の賃貸に住んでいるし、職場は都心なのでなくても生活できる
- 車の維持費を貯蓄に回したい
- そもそも車自体にほとんど関心がない
- 車に乗るという事は事故に合う危険がある
- 高級車を自慢げに乗っているのは品がないと感じる
と、いった感じで酸っぱい理由は山ほど浮かびます。
もう一例、今度は昔好きだったゲームの趣味です。
最新ゲーム機や好きだったタイトルの新作を買わない理由を考えます。
- 仕事に育児に、ゲームしている時間なんてない
- 一生懸命家事をしてくれている妻の前で遊ぶなんて申し訳ない
- どうせ買ってもいつかはやらなくなる
- そもそもゲームしている時間って無駄な時間
- 無駄になる事にお金を使うのはおかしい
- こんな年齢にもなってゲームしてるなんて大人気ない
と、こんな感じです。
他にもブランド物や旅行、美術品なども考えやすそうだと思います。
1-3.酸っぱいブドウは心を落ちつかせるおまじない
こう書き出してみるとよくわかります。
『酸っぱいブドウ』は、手が届かない悔しさをごまかすための防衛本能なのです。
手に入らないのではなく、手に入れなくて良い理由を探すのです。
どうにも出来ないのではなく、自分の意志で手に入れない事を選びたい。
そうやって自分を納得させるための『おまじない』なんですね。
2.酸っぱいブドウの危険性
2-1.おまじないが自己洗脳に進化する
さて、人が自分を守るための『おまじない』ですが、
ある意味では『自己洗脳』でもあるのではないかと思います。
私の車を持たない理由の中のひとつが怪しいと思います。
「そもそも車自体にはほとんど関心がない」
昔はミニ四駆で遊んでいたし、車に興味はない事はないと思うのです。
現在の考えでは、「興味がない → 必要ない」という流れなのですが、
もしかすると「手に入らない → 悔しい → 元々興味がなかった」
という段階があったのかも知れません。
今となっては、どこで考えが変わったのかもわかりません。
このように、人間は自分を騙し、洗脳しながら生きているのだと思います。
2-2.物事の否定は、他者への否定と紙一重
さらに私の一例から問題を上げていきます。
「高級車を自慢げに乗っているのは品がないと感じる」
これは『自分なら』という話なのですが、他人にも当てはまりますね。
これでは『高級車に乗っている人』を否定する内容になりかねません。
しかも『自慢げ』という、悪意のある受け取り方も加わっています。
「こんな年齢にもなってゲームしてるなんて大人気ない」
これも自分に対して言っているのですが、他者への否定に繋がります。
同世代の人がゲームを楽しんでいる、本当は羨ましくて仕方ない事なんです。
それを直視できず、他者を『大人失格』なんて言葉で批判してしまいます。
『酸っぱいブドウ』は自分にとってだけ『酸っぱい』はずなのに
楽しんでいる他者を『酸っぱいものを喜んでいる愚か者』にしてしまうのです。
2-3.卑屈な発想、損するのは自分の方
これが常態化していくと、どうなってしまうでしょうか。
おそらく、とても卑屈な人間が出来上がってしまうと思います。
楽しんでいる他者を『バカ』だと否定し、楽しまない事を正当化。
楽しむ事が悪い事だと感じるようになり、気付けば楽しみがない生活に。
理解できない他者と付き合うのを避け、独りを好むようになっていく。
やりたい事を諦めるのが当たり前、節約だけが励みに。
いかに自分を押し殺すかだけが楽しみになっていく。
最後は「どうせ自分なんか・・・」という言葉が口癖になっていく。
(私の父親そのもの、と書きながら納得。)
これは幸せな生き方と言えるでしょうか。
どう考えても私は、『バカ』な人である方が幸せな人生が送れると思います。
2-4.卑屈な発想は感染し、家族を蝕んでいく
卑屈な人間になってしまうと、本人が損をしてしまう事はわかりました。
ですが、その影響は本人だけに留まらず周りの人間も不幸にしてしまいます。
例えば、自分が『酸っぱいブドウ』により『人生には無駄なこと』と判断したものに
自分の子供が興味を持ち、のめり込んだとしたらどうでしょう。
やめさせるのか、良く思わない気持ちを持ちながら続けさせるのか。
否定的な気持ちを持ちながら接すると、家族関係はとても難しいものになりますね。
また、親が否定的な考えを持っている家庭で育つと、
無意識のうちに嫌いな事ばかりの子供が育ってしまう可能性もあります。
他の人が楽しんでいる事を「くだらない」と楽しめなくなってしまいます。
感受性が豊かな、一番大事な子供時代をそんな環境で過ごしてしまうと
「世界は醜い」「生きる意味はない」という考えになってしまう危険性もあると思います。
3.対処法は、キラキラした自分でいようとすること
3-1.ブドウを諦めない心
欲しいと思ったもの、したいと思った事を極力諦めないようになりましょう。
卑屈な人間になるくらいなら、お金を無駄にした方がマシだと思います。
経験せずに否定するより、経験してから反省する方が大切なものが手に入ります。
現実離れしたもの、あまりに身の丈に合わないものに手を出す必要はありません。
そうでないのなら、なんでもチャレンジしてみるべきだと思います。
そして、なかなか手に入らなくても粘り強くチャレンジです。
人は諦める時に否定的な考えを生み出します。
すぐ叶えようとはせず「いつか叶えよう」という気持ちを持ち続けていれば
ブドウを酸っぱくする必要なんてないのです。
3-2.それでも世界は輝いている
どうしても手に入らない時、否定的になるのをやめましょう。
『酸っぱいブドウ』を意識すればきっと出来ると思います。
やることは、ただひとつ。
思いっきり落ち込んで、悔しがる事です。
そして、自分とは縁がなかっただけの素敵な事は、
何があっても素敵なまま変わらない事を理解しましょう。
何かの縁で、またいつか手元に現れる事があるかもしれません。
3-3.キラキラした自分を心がけよう
キラキラした自分になれるよう、出来る事を探しましょう。
子供のために、生活のために、お金のために、楽しい生活を諦める。
それは結局子供のためにならない、本末転倒な考えです。
キラキラした素敵なパパママでい続ける努力をしましょう。
自分が輝いていれば、世界は素敵で溢れます。
子供も健やかに育ってくれる事でしょう。
4.まとめ
人生を謳歌すること、とても大切なことです。
不器用な人には、自分を犠牲にする事を美徳と考える人も、少なくはないと思います。
ですが、そんな親を見て育つのが子供です。
子供を見張って縛り付けるより、楽しんでいる姿を真似したいと思わせられたら素敵ですね。
※この記事は散財を後押しするためのものではありません。
自由を謳歌するためには、家族と理解し合った上で堅実にお願い致します。